長年石造物の調査をしていて、特に来待石製石造物の作者は江戸期から現在までどこの居住の石工さんなのか殆んど分かっているのだが、一人だけどこの誰なのか分からない石工さんがいた。
大田の物部神社にある精緻でみごとな作りの来待石製水飲み龍、出雲国源々住人 治山峯
と彫ってある。また、松江市楽山に鎮座する推恵神社の見事な社標柱及び狛犬(丸尾)、これにはそれぞれ 石工 出雲国住人 治山峯 狛犬には石聖 治山峯 と彫られている。来待石製社標柱にはリスと葡萄の浮き彫りが施されている。狛犬は出雲式狛犬の初期系丸尾の素晴しい出来栄えの狛犬である。この台座は丸台座でその下の台座にこのような一文も彫られていた。狛犬一対享保18年創建、昭和59年再建と・・・享保の狛犬であれば、来待石製出雲式狛犬の最古の作品となるが、これを昭和59年に再建したのが 石聖 治山峯ということになる。では、治山峯はどこの石工なのか?出雲国としてあるので、石見ではない。松江か出雲か、あるいは奥出雲あたりなのか・・・。ある年配の石屋さんによりこの石工さんの本名と住居が判明した。それは素晴しい技術をもった石工さんであったらしい。すでに他界しておられた。もっと早く分かっておれば、推恵神社の享保の狛犬について聞くことができたのにと悔やまれてならない。地元の組合事務所に一枚の素晴しい彫刻が施された灯籠の写真があった。この下にも石聖治山峯の墨書。来待石灯籠は昭和51年全国に先駆けて「国指定の伝統的工芸品」の指定を受けた。その精緻な作りは他の追随を許さない。しかしこの石聖治山峯の灯籠はとんでもない自由闊達かつ精緻な作りの灯籠であった。ただ、この灯籠についてはどこかで見た記憶があったのだ。私の友人の写した灯籠の写真が当館の研究紀要に載っていたのだ。探してみると米子市橋本に鎮座する阿陀萱神社に存在することが判った。先日雨の中を山陰道米子西インターをおりて目当ての神社を探したがなかなか見つからない。やっと丘陵地の奥の軽自動車がやっと入れるところに目当ての神社があったのだ。神社の由来などを読んでみるとなかなかの由緒ある神社であり、このように書かれていた。
古事記(712)によれば大国主命は大勢の兄神様と一緒に八上姫へ求婚のため因幡国への途次、因幡の白兎を助けた縁で結ばれ出雲の直江で多岐喜姫(当社祭神)が生まれ給う、因幡国へ里帰りの途中、多岐喜姫は榎原郷橋本邑の榎の俣に指を挟まれ此処にとどまり鎮守神として祭祀された歴史ある古社です・・・等々。
ここには年代の古い石造物が沢山残っており、特に文化年間松江石工磯右ヱ門作出雲式狛犬は素晴しかった。磯右ヱ門は旧平田市鰐淵寺狛犬作者でもあり、松江城下町寺町の名工の一人です。ここにありました、あの治山峯作の来待石製の灯籠が、苔もはえて風格も出ていますが、龍や刀剣や鹿などの彫り物が素晴しいの一言・・・。今までこのような灯籠は見たことがありませんでした。小雨に濡れながらしばし出雲の国からこの地へ運ばれた灯籠に見ほれた一時でした。

幻の名工

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