所用があり大山へ行ってきました。あいにくの霧雨でしたが途中下車して、大山寺、大神山神社奥宮を散策しました。
大山情報館の広い駐車場にはお客様の車は私のだけ。霧雨が降って伯耆大山の姿すら見えないこの状況で、誰もこないわな・・・と。ひとり参道の石畳を大山寺に向かい開運鐘をつき奥宮へ。途中で「吉持地蔵」と呼ばれる安山岩の自然石に彫られたありがたい地蔵に手を合わせた。ここに會見郡鴨部村の石工銘が瀧山五兵衛定□ 他1名の名がかろうじて読めた。地蔵菩薩や灯籠など地元の安山岩製のものが多く文化年間から幕末嘉永年間の石造物が多く見受けられた。来待石などの堆積岩(凝灰質砂岩)と違ってこのような高地にあっても保存状態がよい。他にも會見郡橋本村、立岩郷、箕蚊屋下村など当地の地名が彫られているものが多く、石工銘も會見の石工さんが圧倒的に多かった。霧雨にけむった奥宮は何かを拒むような威圧感を醸し出していた。圧倒的な存在感を感じながら辺りを見回すと、そこに私の求めていた来待石製出雲式丸尾狛犬が静かに私を待っていてくれた。妄想の世界かもしれないが「待ちくたびれたぞい」とひと睨みされた。雲州松江の豪商「京屋万五郎」寄進、寛政八年丙辰四月(1796)細工人松江石工門兵衛作狛犬である。出雲式狛犬の初期系丸尾狛犬は島根でも僅かである。門兵衛は讃岐の金毘羅に現存する天明元年(1781)来待石製出雲式丸尾狛犬の作者であり、この狛犬が来待石製として記念銘の確認できる最古の狛犬となる。他にも出雲金刀比羅宮寛政三年(1791)出雲式構え型狛犬、出雲市国富康国寺寛政三年供養塔狛犬作者でもある。丸台座に鎮座した神々しい出雲の国からきた狛犬は二百年以上前から、ずっとここで参道を通る人々を見守っていたのである。知らず手を合わせていた。

鳥居をくぐり鳥居に帰る

木の文化と石の文化の融合

自然石に彫られた地蔵

太古の宮

これぞ出雲式初期系狛犬

奥宮の守り神