先日、大社の日本海側鷺浦湊を訪れた。何年か前に地元の名士杉谷明信さんに案内していただき、白壁の土蔵が残る町並みや、無縁墓地、文珠院などを案内していただいた。高台から見る街並みは石州瓦で埋め尽くされ鮮やかな赤色が深緑色の湊と好対照であった。北前船の発着湊である鷺浦は、風待ち湊としても最適な地理条件が整っている。
往時の面影が残っている土蔵群には塩飽屋など瀬戸内圏域の地名が表札として残っていた。杉谷さんには、半日近くあちこちを案内していただいた。今回は私一人で気になっていた石造物の調査に訪れたのである。高台の文珠院にある六地蔵にそのときは気にも留めなかったが、確か泉州の石工銘が彫ってあったと・・・・。ありました、石工 泉州男里住 中谷清右衛門為時・・また近くの地蔵菩薩にも同じ名前が、石質は細粒砂岩であったので、恐らく泉州で採れる「和泉砂岩」であろうと推測しました。そして、その時私の記憶に大阪、兵庫の石造物研究者に送っていただいた彼の地での石造物作者のリスト、その中に確かこの名前があったと。帰って調べたら享保年間(1716〜1735)に活躍して石工であることが判明しました。また、この石工が制作した宝篋印塔が伯耆国大山寺に存在することも。300年前に北前交易で栄えたであろう鷺浦に、遠く泉州からはるばる石造物が来ていたとは。それが、大切にこの地の人々によって守り継がれてきたのです。感慨深いものがありました。