山陰を訪れた石工達

石大工泉州

石造物には記念銘が彫られていることが多い。ただし、作者については、そんなに多いということでもない。わたしの追っている狛犬は例外で、どちらかというと作者(石工銘)が彫られている場合が多い。特に江戸期の狛犬は多い。明治、大正、昭和に下るにしたがって少なくなってくる。山陰を見渡した場合、雲州を中心とする石造物作者は松江の城下町であったり、宍道湖周辺の平田、斐川、宍道そして雲南、奥出雲など地元の石工が多い。では、大田市以西石州や米子などの伯州ではどうかというと、石州では福光の坪内一門とか伯州では会見や八子石工など地元の石材を加工して石造物を作る石工達が多い。ただ、松江を中心とする雲州と石州、伯州の大きな違いは、県外の石工が作った石造物が石州、伯州に多いということである。石州には銀、銅、鉄などを産出する産業が多く、また地理的に瀬戸内圏域との交流がし易いという条件もある。では、伯州はというと、やはり日野川水系の「たたら製鉄」に関係する産業が繁栄していたことが大きな要因である。また、大山を中心として牛馬の取引などにより他県から訪れる人々が多いということも関係している。江戸期松江藩では来待石を「御止石」として許可無く藩外持ち出しを禁じている。かなり厳しい商工業に対する規制がなされている。このような背景が松江を中心とする雲州に、他県からの石造物が流入していない大きな要因と考える。今回は伯州の県外の石工銘のある石造物を紹介する。大山町所子賀茂神社の宝暦9年(1759)の安山岩製灯籠2基に「泉州石工 乾惣右衛門」の銘が彫られている。また、米子市淀江町西原の日吉神社には延享3年(1746)の花崗岩製鳥居に「石大工泉州男里住 乾惣右衛門」の銘があったが,残念ながら今は倒壊して存在していない。南部町長田神社の花崗岩製鳥居に「石大工泉刕□□□□」の銘、年号は分からないがかなり古い。伯耆町大殿福樹寺の享保3年(1718)安山岩製宝筺印塔に「石工泉刕男里住人 中谷清兵衛」の銘、伯耆町久古、久古神社安山岩製鳥居明和5年(1768)に「石工泉州住 奥野平八蕃郷 奥野平吉蕃郷 □林□左衛門」の銘、江府町佐川、佐川神社寛政10年(1798)安山岩製灯籠に「石工泉州 奥野平吉蕃郷」の銘、江府町江尾、江尾神社の文化4年(1807)安山岩製玉垣に「石工泉州 奥野平吉蕃郷」の銘など今でも多数見ることが出来る。これら遠く泉州から来た石造物は泉州で作り運ばれたものが多いが、中には当地の石材で作られた石造物も多く、泉州あるいは大坂の石工達が当地に住みついて作ったのであろう。これら石工達は、故郷から遠く離れた当地にあって何を想っていたのであろうか。大山寺にも泉州石工の手になる石造物があると聞く。石工達の信仰心が望郷の念を支えていたのであろう。

大山町所子賀茂神社安山岩製灯籠

伯耆町大殿福樹寺

伯耆町大殿福樹寺

江府町江尾神社玉垣

江府町江尾神社玉垣

伯耆町久古神社鳥居

伯耆町久古神社鳥居

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1 Comment

  1. 田渕千香子

    こんばんは。こちらは、雪になりそうです。島根県〜鳥取〜岡山県北地域にかけての流通の様子がうかがえ目からウロコでした。特に、大山を中心とした牛馬の流通が石造物の流通にも影響を与えていたというのは、説得力があります。これからも、ちょこちょこブログに遊びに来させていただきます。

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